s56年10月18日 月次祭
えー毎月、 先生がみえて私の体をふいて下さる日なんですけれど、今日は何か出張があってできないので、戎浦さんに血液の検査と、尿の検査をしとくようにと、言われたそうですから、今日は、その検査をして頂きました。えー血を3回採ってもらいましたが、私に直接は言われませんけれども、んーとにかく重体患者でもこういう血液の検査して、何か400ccの何か、数字に出てくるんだそうですが、本当に、絶対安静にしておかなければいけないような状態だとこう言われる。そうでしょう、ここ2・3日大変体がきつい。今日も朝からやっぱりガタがきとる。えー、足がもつれるような、歩きよっても。やっぱりそうだそうですね、 うーん、それでもこうしてまぁー、教会長としての責任においての御用ということは、いつも心の中にございますから、えー、やっぱりあの勤めるとこだけはきちっとこう、責任において勤めさせて頂こうと。
今日の月次祭も、若先生がちょうど飯食う時に参りまして、やっぱり戎浦さんから聞いてるんです。ですから、もうできるだけ動かさんがいいと言うて、えーじっとあそこに座っておけばたいしたことないんです。ちょっと動くことがきついんですね。けれども、私の場合はこれは、霊祭の当日も朝から大変きつい日でしたが、本当にきついけれども、あり難い。ちょうど、えー翌日、梶原先生がちょうど私が御大祭のお祝詞を掃除をさせて頂いておる半ばに頂いたのが、さやえんどうの若いね、まだ実がびしびしなっておる、それを
青く湯がいて、それをごまであえてある食べ物がありますよね、なんかのごまあえというわけでしょう、を頂いた。いわいるマ豆メということは、健康ということでしょうし、豆で達者でと申しますから、豆で達者じゃなくて、それこそ、ビショビショの状態だけれども、胡麻というば黒い、ね、いうならその苦労をそのきつい体にこう頂きながら、それでもなんとも言えん、そういうきつい思いをしなければ、いうならその若い豆、ビショビショの豆と、胡麻でなかならければ味わえない味わいの食べ物ができるように、きついけれども、やはり今までかってない、こういう有り難さを感じ続けた御大祭は無かったという御大祭が奉仕できた。今日もやっぱり、あのそうだと思います。それがそんなら、そういうおかげがどこから、しいら元気とかなんとかというじゃなくてね、やはり教会長としての責任においての御用ということを、頂きでおるから、それができるのじゃないかとこう思う。また、そういう有り難いものに触れることができると思う。今日は、( )参ってきた熱心なご信者に、親先生もう昨日ばかりはもう、久しぶりにもうそれこそ、もうやりやいするような、その夫婦喧嘩をさせてもらいました。ところが、だんだんその、まぁお互いがその、まぁー言葉の上での口論が激しくなって、けれどもふっとその主人が、これは一廻りも二廻りもこの頃大きくなっているなぁーと思わせて頂いたら、それから有り難とうなってから、もう喧嘩が、喧嘩になりませんで、主人にもお詫びをすることができたし、おかげで、また新たな夫婦の上でも理解ができあって、おかげを頂きましたというのです。そんな喧嘩なら( )かな、と申しましたことでしたけれどもね。最近合楽では、一廻り大きくなるということが、しきりに言われます。同時に最近、言われますことの中には、ね、いわいるんー、責任においての御用、それぞれの( )平信者で、私だけお参りするだけだからというのじゃなくて、なら合楽の、ね、信奉者、合楽の信者でございますという責任においての信者におとりたて頂かなければならない。
えー今度、御大祭の皆さん、先生方ごのうらい終って送り出した後に、えー、信徒会長を始め、総代幹部の皆さんが集まって、えー、本当に反省会らしい反省会がでけたと、ということをその晩に聞きまして、内容が素晴らしい。それぞれの御用をさせて頂いておるその御用させて頂いて、その御用分担のその責任において、この次にはこのところをもっと良くしていこうという願いから、その責任においてのいうならば、反省会であったということを聞かせてもらって、もう早速そういう働きが合楽全体におこっておるということを感じました。今の合楽では、とにかく一廻り大きくなるための精進。ね、その責任においての御用。これがでけたらね、これはもう私は思うのですけれども、話を聞いて助かるというて、素晴らしいええお話とか、あーおもしろおかしゅうという話はたくさんありますけれどもね、これは私は私、ここで思うことは、私のお話の中にはね、ここを頂いたらおかげになる、これを実行したら力が頂けるというお話なんです。ですから、聞くだけではなくて、それを本当に頂かなければね、力にもおかげにもならん。今もちろんここで、合楽理念に基づくさまざまな生き方を皆さんが身につけておられるでしょうけれども、その中においてもです、ね、果して自分は一廻り大きくなっていく精進をしているだろうか。果して自分は、その責任においての御用ができておるであろうか。ね、此の方金光大神にいつまでも尽きぬおかげを話にして残しておくのぞと。今日は、こんな御理解、えー62節じゃったかね、今朝の御理解でしたが、ね、神心となりて人に、話を伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞとこう仰る。ね、それこそ?神になるのぞ、とも教えておられる。ね。だから私共の中で もって、その神心ということに、神心となりてという、神心にはなれませんけれども、ね、私今合楽で言われるその責任においてということになればね、これは、私はいうならば責任においての御用が、私の信心を育てるということになる。ね、それを伝え聞いた人がおかげをうけていくということによって、なら、真の信心の道を歩くこともできれば、神になる手立てにもなっていくことになるのです。私はまだ自分の心の中に、神心がないから人には伝えられん、私がおかげを頂かなきゃ人には伝えられんと言ったようなことじゃなくてね。一人、ひとりが、いうなら合楽の信者、信奉者としての責任において、今日有り難いと例えば感じたところを帰ったら、家族の者にも伝える。また、おりがあるごとにそれを人にも伝えていく。その伝えて、それが右なる、左になるなら、別 そこから先は神様の世界だから。ね、責任においての御用としてそれを伝える御用させて頂くということが、ね、神になる手立てでもあれば、信心を真の道に進んでいく手立てにもなっていく。いわいるその、責任において人に伝えておかなければならない。また、伝えなければならない。どうでしょうか。その責任においてというときにです、なんとかその話のきっかけをね、何かきっかけがあったら合楽の話を一言でも聞いて、相手が聞くまいが、聞こうが聞くまいが、おかげを頂こうが、頂くまいが、ね、責任において一言このことは伝えておきたい、伝えておったら自分がおかげを頂いたことを人に話させてもらうという。そういう心配りがね、大事なんです。ということです。
えー、昨日研修、研修終ったところだったでしょうね、信徒会長の秋永先生が、どけなんことでしょうかっち、今日は、2年後に教組大祭が仕えられます。合楽では今度、一列車借り切って、合楽の者だけで、えー、団体参拝をさせて頂きたいという願いが立てられておる。それで、もうぼちぼちその、まぁー、運動にかからなければならない、第一回の会合を今日することになっておりますからというのであった。どうでしょうか。これはね、教組百年祭のとき、まだ椛目の時代でしたけどね、えー、ちょうど230名、子供合わせて参っております。30年前です。ね、ですから今の合楽で、まぁー総力を結集したら、本当は、列車2本ぐらい出してもいいぐらいにあるのじゃないかと思うのですけれども。その時分のことを私は、改めて昨日思わせて頂いたんですけれども、その時分の今の熊谷さんたちが婦人総代をしておられた。田主丸のあの、むつやのお母さん、田代さん。私が非常に、こうなんと言うか、むり上がってきて、総代幹部の方たちが、その部落、部落のまぁー時々参ってくる人、以前参ってきよった人、また付き合いの人、親戚の人というふうに、その何人かで連れのうてずっーとその勧誘して回られた。それでもう、思いがけない人達の参拝があって、その当時230名ね。まぁーいうなら総代としてのその責任においてのその御用ができたんです。もう、まだ2年後ですけれども、もうぼちぼちその言うならば、お互いが願いを立てなければならないときではなかろうか。それも、どーでも私が一人でんお参りさせて頂こうというのじゃなくて、どーでも、ひとつ家族中で、どーでも、ひとつ親戚中で、どーでも自分の知った人にも、こういうときが、示現活動の だと思うて、それこそ合楽の信奉者としての責任において、2年後にご参拝させて頂く御本部参拝のことを今からそのことの祈りを、願いを立てて、そしておりあるごとにそのことを伝えていく。あーそんなら一辺、それこそ御本部参拝してみろうかと言うていく人もあるでしょう。ね。あなたにやっぱりあの、お参りを思い立った?方たちがあるでしょう。そういうものをまとめて、今度のいうなら、百年祭の御本部参拝はさせて頂きたいと、私も願いを立てておりますし、皆さんの一人ひとりがね、合楽の信奉者としての責任において、あたくし一人じゃない、責めて2、3人ぐらいはお導きをさせてもろうて、ね、家族中は今から話合って、いうならあー、1日なら1日でもさせて頂きたい。ね。そして、なら近所隣の誰かれさんにもひとつ伝えさせて、というような、私はそういう働きがね、なされるとき、それはね、神心になりて人に話を伝えていくということに、神様はお取り上げ下さると思うのです。これはとりわけ、合楽で今言われておること、そのときそのときに、新たなこう信心がね、合楽にもだんだん同じところばっかりじゃ止まっておりません。最近は、いわいる合楽理念におけるところの、御用ということ。ね、それを私は、それぞれ、合楽信奉者としての責任においての御用というふうに話しております。ですから、そのとき、そのことに取り組んでいくなら必ず信心は育ちます。おかげをうけるです。それが、なら有り難い自分の信心の一廻りも二廻りも、あの時に大きくなったんだろうか思われるときに、大きくお育て頂くでしょうし、その責任においての、神様、えーそれを人へ伝えていくという働きが、ね、真の道を踏んでいくのぞということにもなれば、それが神になるのぞという手立てにもなっていくというのですから。神様になる手立てとか、何とかと、まぁーそれはもちろん合楽理念をもってすればそれが説いてありますけども、その合楽理念の中に今新しく言われる、言うなら御用のこと。ね、または最近言われる、ここで言われる一廻り大きくならせてもらう。自分が熱心に一生懸命参っておるところが、時々自分、テープで親先生の御理解を頂いておる程度の主人の方が、かえって一まわりも、二まわりも大きくなっておったとこういう。それもそれなりに有りがたかったというて、夫婦と半ばに?それが有り難い喧嘩で終ったと言うてわけなんですけどね。 からが一つ、一まわり大きくなっていく、本気でのシンオン?に取り組ませてもらおう。ね、そして、めいめいの、ね、あの一人ひとりがその合楽の信者としての責任においての御用というものをね、何かそこに一つ自分で練りださせて頂かなければいけん。それで今、昨日話合いがあったという、これから何回もあることでしょうが、ね、これは総代幹部に任せておくだけではなくて、めいめいの責任においての御用と思うて今日は、あの人に話をした、今日は何人の人に話をした、神心となりて人に、神、人に伝えていくということが教えをそのまま行ずることであり、踏んでいくことになるのです。ね、それが、だからおかげにもなる力にもなる。そこでひとつ、うー、一まわり大きくなるということは、一まわりおかげを受けたということにつながるんですよ。だから、ひとまわり大きなおかげば頂きたいということになると、一生懸命思うけれども、ならそのために自分がひとまわり大きくなろう、その手立ては、合楽理念によると、楽しゅう、有り難というできるという手立てがいくらでも説いてある。ね、それだけこの御大祭を通して感じさせて頂きましたこと。ね、えーどういう中にあっても、やはり有り難いと答えが出るような日々でありたい。それは、夫婦喧嘩をしながらでも、ふっと気付いたときには、有り難くなっておったというね。そういうその信心修行をさせて頂きませんとね、合楽に通ってくる値打ちがないです。取り組ませて頂くということ。ね、えー、めいめいが一人一人が、合楽の信者ですとこと、胸を張って、合楽の信者ですといえるその裏付けというものは、その責任において、私が果しておるその御用が、いよいよ胸を張って私が合楽の信者です、信奉者です、また神様も認めても下さるということになると思うですよね。どうぞ。